防府出身者・在住者のための情報掲示板2011年No.949

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No. 登録日付 お名前 ご住所 内  容
9490 7/8 tmyn39 杉並区 ○土井多門さんへ
桑山で水晶は採った事もないし聞いたこともありませんが、長沢の池の北側の赤土の中から水晶を採った事があります。大雨の後に行くと簡単に見つけられました。
石といえば今は採ってはダメでしょうが、50年位前は秋吉台で方解石を採りに行ったものです。透明なものは高く売れました。
手長えびは今でもいると思いますよ。
子供が小学生の頃、毎年大崎橋の少し下流によく取りに行ったものです。
15年前までですが、テンツキ(網)で1時間で10匹位取れたものです。
そっと石をどかせばいましたし、石垣の中に隠れています。
私が小学生の頃はウヨウヨいました。
9491 7/8 taka21 防府市植松 ○kaz.kさんへ
情報ありがとうございます。
JR九州見ましたよ。ただし、テレビでは見ていません。ほっとする内容ですね。何回も見ていますよ。
○tmyn39さんへ
情報ありがとうございます。
今では、秋吉台も今では罰せられると思います。
それは当然として、古き良き時代を感じるのは私だけではないと思います。手長えびの情報もありがとうございます。

○古き良き時代「昔は、とんでもない、わやをやった!」
先ほどの投稿で書いているときに思いましたが、今では絶対に禁止されているが、当時はやってしまっていたことは、結構甥のではないでしょうか。
これは、あくまで思い出として書いているだけで、推奨しているわけではありません。

この掲示板で多いのは、佐波川の禁止区域での飛び込みです。
佐波川の堰(せき)での飛び込みなど、武勇伝をお持ちの50代60代の方は多いようですね。
ともだちの家の車に何人か乗せてもらって、定員オーバーになって走っていたら警官の姿が、「隠れろ」の声で、みんながシートの下に隠れたりしました。

こんなことを書くと、もっとすごい投稿が来そうですが、掲載できる範囲での投稿をお願いしますね。
9492 7/8 六甲おろし 静岡県  遅くなりましたが15周年お疲れさまです。遠くにいても故郷を見れる環境にご苦労されていることに感謝申し上げます。
「友」よっかたです。皆さんと同じ感想なので詳細は省略させて頂きますが、松崎小学校(母校)をはじめ、防府の景色にジーンときました。都会の映像とのギャップもいろいろ思うところがありました。

 夏!いよいよ高校野球ですね。今年はスポーツセンターで久しぶりに行われるんですね。母校防府西は1回戦で同じ防府勢の高川学園とですね。ただ、どちらが勝っても2回戦で防府高校とやる可能性が高いですね。防府勢どうしが序盤で当たるのは少し残念な気もしますが、どの学校も健闘を祈ります。
9493 7/8 tmyn39 杉並区 だかドンドン書きたくなりますね。
桑中時代、ドミニカから転校生(3〜4年年上)がいまして、佐波川の堰からよく飛び込んでいました。そしてそのまま3〜4分もぐって思いもよらない所から浮かんできた事を思い出します。
わやと言えば、自宅から佐波川の川原で遊ぶため50ccのカブに自分の子供二人と甥と姪、5人乗りで行ったものです。さすがにおまわりさんに捕まって切符を切られてからは止めました。
9494 7/11 長ねこ♪ 名古屋市 こんにちは!連日の猛暑ですが皆様体調にどうぞお気をつけ下さい。
長ねこ♪の大好きな高校野球の季節がやってまいりました。いつも一回戦の組み合わせは防府勢同士になってるような気がしますが、なんとかしてほしいですね(汗)。防商にしても1回戦突破するとまたいつぞやと同じく南陽工と対戦じゃないすか。「はぁもうはぁ、よいよじゃぁね」(この「はぁ」は、他の地方の方には意味不明らしいです 笑)ですねぇ。でも、結局どこの学校が出ても、山口県っていうだけで応援にチカラ入っちゃうんですよね。がんばれ防府勢、山口県勢!
9495 7/11 taka21 防府市植松

○六甲おろしさんへ
ありがとうございます。
高校野球の熱い戦いが始まります。
○長ねこ♪さんへ
ありがとうございます。防府勢が勝ち残って欲しいと思います。

○tmyn39さんへ
懐かしい情報をありがとうございます。そのようなことがあったのですね。おおらかな時代だったことが想像されます。

そういえば、夏となれば、セミ取りです。セミを追いかければ、近所の家にも入って取っていました。もちろん、挨拶もします。のどがかわけば、土間の台所で井戸水ものませてもらいます。本当に暑かったように思います。
魚も捕りました。今は少なくなったカネ(金属製)のバケツに、魚を入れては、用水路を歩き回っていました。当時の用水路は、コンクリート舗装がされていないので、タニシもたくさんいました。子どもたちが数人集まっていましたので、バケツを持つ係、魚を上流から追う係、下流で網を持って待っている係など、持ち場がありました。用水路の藻を竹の先で、ゆっくりとつつくと、さっと魚の陰が動いて、あの緊張感がよかったですね。

もうすぐ、市子連のソフトボール大会へ向けての各地区の大会も近づいてきました。駄菓子屋のアイスクリームで、ホームランバーが、最初は5円で、それが10円になったように覚えています。

○2011年7月7日の防府市内
三田尻の風景です。昔の賑わいを感じます。好きな通りです。これは、梅雨が明ける前の撮影です。


○2011年7月9日の防府市内
梅雨があけた日です。
富海海水浴場の静かな夕日の風景です。これから、夏休みに入ると賑わいます。
2011年7月9日防府市富海海水浴場の夕日
海の家です。予約をすると夜まで開けていただけます。
海の風はさわかやで、おいしい料理とビールをいただきました。楽しいひとときでした。
2011年7月9日防府市富海海水浴場の夜の海の家

9496 7/12 taka21 防府市植松 ○2011年7月12日の防府市内
防府市華城。下河内地区の踏切より撮影。大平山がきれい。
入道雲が夏だと訴える。



○冷房がない生活
子どもの頃、冷蔵はなかった。しかし、家のという家は、窓を全て開け放し、風を家の中へ入れていた。そんな夏にこんなことはありませんでしたか?

子どもの頃、おつかいで、近所へ行って、「ごめんください」と叫んでも叫んでも誰も返事がない。
それなのに、戸と窓は開けっ放し。土間に入ってみるが、誰もいない。
今度は、家の裏の方へ回ってみた。
窓は全て開いている。誰もいないのかなぁ。
もう一度、「ごめんください」と叫んでも返事がない。

ただ、家の奥の方からなにやらラジオの声がする。番組が、ニュースから歌番組に変わった。たぶん、NHKの放送だ。おばあちゃんが、寝ているのかもしれない。
あいかわらず、セミだけは、うるさく鳴いている。

そうか、畑かもしれない。垣根を越えて、その家の裏手にある畑に行ってみる。いたいた。ステテコ姿のおじさんが、桶に川の水をくんでは、畑にまいている。赤いトマトの実もなっている。

9497 7/12 かわぐち 浦和市 takaさん。
子供の頃の風景は、全く同じです。
takaさん宅の近くに友人が住んでいて、小徳田から歩いて行ったものです。
たんぼを渡る風が心地よくて、開け放した部屋で友人と昼寝をしていた自分が見えます。
佐波川のエビが手長エビだったのか? 曖昧です。
エビを追いかけて、深みにはまったりしましたが、子供でも取れたのだから、沢山いたのだと思います。

それにしても昔の繁華街だった三田尻を知っていると、誰もいない風景は寂しいですね。
9488 7/13 kaz.k 京都市中京区 冷房(クーラー)のない生活
 生まれてから高校を卒業して京都に出るまでの間(昭和40年〜59年)、植松の実家はtakaさん家のお話同様にクーラー(←今言うエアコンではない)がありませんでした。「クーラー病になるから自然の風が一番ええ」が我が家の主義で、クーラーの“ク”も口にしないのが暗黙の掟でした。たまらず「暑ぃ〜」と言うと「夏は暑いに決まっちょる!」(byばあ様)でした。
 家の戸という戸を開けっ放して風を通していると時々、めったにお目にかかれないオニヤンマやギンヤンマが座敷の中を通り抜けていったり、板目を川面と勘違いするのか、シオカラトンボが縁側で産卵するように尾を動かしていたりしていました。水田が多かったせいか、当時の夏の華城校区はトンボ天国でした。移転する前の植松八幡宮には一年中水のある池がありましたが、そこで一度だけ、シオカラトンボでも羽黒トンボでもない、不思議な黒いトンボを見たことがあります。夏休みの自由研究で公開される昆虫採集でも見たことのないトンボだったのに、網がなくて捕まえられず、悔しかったのを思い出します。
 その頃の夏のBGMはアブラゼミとニイニイゼミの大合唱でした(クマゼミもミンミンゼミもヒグラシもいなかった)。それがお盆の前後あたりから少しずつツクツクホウシが混ざり始めて夕暮れ時にアカネトンボが飛び始めると、そろそろ夏も終わりという少々寂しい気分になっていくのですが、それは多分、井上陽水の名曲の気分には程遠くて、単にサボっていた宿題のプレッシャーだったと思います。
当時の防府の夏の最高気温って高くても30度そこそこ、クソ暑い日でも32度までだったように記憶していますが、近年は平均で31度以上、最高35度オーバーみたいですね(もっとも、京都はそれ以上にクソ×3暑いんですけど)。

 小学生の頃、夏の涼は佐波川でした。実家の裏の大崎橋下手が遊泳許可区域で、遊びながらの水泳実地訓練はいい思い出になっています。手長えびもうじゃうじゃいましたが、食べる対象じゃありませんでした。そんなことより興味は戦わせて勝てるでっかいザリガニとか “だんべ川のカメ”でした。ザリガニについては、当時から水田のあぜに穴を開ける悪者だという知識だけはあって、バケツに山盛り獲っては遊ぶだけ遊んで、後は放ったらかしたまま帰るという・・・(呆)。
 当時の水路は河岸に萱が多く、川藻が茂り、生活用水がほぼ垂れ流しだった割には水も結構清んでいて、メダカやハヤ、カワタナゴが元気に泳いでいました。6月にはホタルも当たり前に見ることができましたが、現在はほとんどがコンクリ水路化してますよね。ザリガニもいなくなっちゃったかな・・・放ったらかしにしたザリガニさん、ごめんなさい成仏してください(祈)。
 カブトムシやクワガタは、校区外に出ないとまずゲットできないお宝でした。以前の投稿で小徳田の製材工場に幼虫を掘りに行ったことを書きましたが、成果があったという記憶はないです(だっていなかったもん)。中学生になって華西中学校区の女山や田島山に行くとアホみたいにいました。西浦や右田、牟礼、小野地区のご出身だと、カブト&クワガタ武勇伝も多いんじゃないでしょうか。

○クーラー(←保冷ボックスのことではない)のない生活、その2
 クーラーのない環境で涼を取る方法は、手っ取り早くアイスかジュース、ってところでした。グリコのパピコやパナップの発売開始がこの頃だったと思いますが、一番の思い出は「ペプシ&ミリンダ」です。瓶売りを買って店頭で飲めば瓶保証金要らずの中身代だけ、王冠の裏の当たり・ハズレに一喜一憂する楽しみがありました。50円当ればもう1本飲めました。中学以降はコカ・コーラ。王冠の裏、プルタブの裏、スクラッチカードなどで当たりを追っかけました。「アンバサ」(乳性炭酸飲料)も好きでしたね。先日復刻発売されていて思わず買っちゃいましたが、当時の味のままでした。現在も暑くなるとなぜが、気分がコーラになっていきます。もっとも最近は、もっぱらアルコール入りですが(サンガリアの「チューハイタイム コーラ」メッチャ美味しいですよ←ただし未成年は×)。
 食絡みで夏の食卓の思い出というと、まず「そら豆」と「とうもろこし」。ばあ様が育てたり、ご近所からいただく畑の恵みでした。特にそら豆は、最近は高級品化してしまって食べる機会がなかなかないのですが、行きつけの居酒屋にお願いして取り寄せてもらったりしています。
 次が、冷蔵庫の中に大きな顔で鎮座していた「スイカ」。冷蔵庫を買い替えてスイカが切らずに丸ごと入ったのに感動したような記憶があります(麦茶もやかんごと入ったし)。スイカを食べながら縁側で種飛ばして花火、食べ終わった皮はカブトムシの餌というのも夏休みの楽しみの一つでしたが、畑から取ってきたばかりで生ぬるい(というか、日差しで煮えてて熱い)スイカも妙に甘くて美味しかった。夏の畑というと、生ぬるいけど濃かったトマトの味に思い出のある方も多いと思いますが、自分は当時、ナスとピーマンと生のトマトが大っ嫌いでしたから、給食でトマトが1人に1個丸ごと付いてきた日にゃ辛かった。今はそんなことないので、随分損してたような気もします。また、畑からもいで(←方言?)きて砂糖を少々加えた味噌で食べる「キュウリ」も美味しかったですね。

 贅沢だったな、と思うのは「紫蘇の穂(花)の天ぷら」「豆ごはん」です。庭先に勝手に生えている紫蘇の穂を摘んで、紫蘇の葉ともども天ぷらにしていましたが、今から思えば海老天なんか滅多に出てこなかったし、手近にネタを調達して品数を誤魔化されてたかな(笑)とも思いますが、紫蘇の穂の天ぷらは、京都では相当敷居が高い店に行かないと遭遇しません。豆ごはんは、豆を鞘から取り出す手伝いをした(させられた)のを思い出します。当時はあまり好きではなかったのですが、今はあの青臭い香りが懐かしく思います。
 あとは、ぽんぽん山に潮干狩りに行って、その日の夜食べる「あさり汁」でしょうか。たらいに塩水を作って獲ってきたあさりを入れ、貝が開いて砂を吐き始めると、箸で突っついて引っ込むのを面白がって遊びました。マテ貝も獲りましたが、食べた記憶はないです。最近、テレビでマテ貝を焼いて食べているのを見て、初めて食べられることを知りました。
 そして夏といえばビール、ビールといえば“キリンの赤ぇほう”でしょう。私はこれを強く主張します。
9489 7/13 taka21 防府市植松

○かわぐちさんへ
ありがとうございます。
今思えば、懐かしい日々ですね。家の中でも外でもランニングシャツだったような記憶があります。「Tシャツ」と呼ばれるものが入ってきたのは、小学校高学年になってからではないかと思います。
外で遊んでから、家の畳の上で、寝っころがっても、風が結構入っていたような覚えがあります。

○kaz.kさんへ
ありがとうございます。読み応えのある内容でした。目に浮かぶようです。
子どもの頃は、誰でも少しは残虐なこともしていますよね。
読んでいると様々な事を思い出す方も多いのではないでしょうか。

ふと思い出したのは、地区の子ども会のプール開放で、毎日学校のプールに行っていたことです。今も一部の子ども会では行われています。
今の小学校のプールにはありませんが、当時の学校のプールでは、プールの周りには小石がしきつめてあって、耳に水が入ると、日光で熱くなった小石を耳に当てて、水を出していたことを思い出します。
このプール開放は授業ではないので、まだ溶けていない消毒用のカルキを水の中で探したり、変な格好で飛び込んだり、楽しかったですね。
今思えば、朝は早起きしてラジオ体操を地区でして、昼間には、地区で集まって2キロ歩いて学校のプールに泳ぎに行くという、意外と規則正しい生活をしていたように思います。地区のソフトボール大会もありました。ただし、お盆などで生活は乱れます。

そういえば、当時のプールの授業では、15メートルや25メートルと泳げる距離に応じて、水泳帽に線を縫い付けることができました。25メートル泳げて、長い線を縫い付けることができたのは、うれしかったですね。

夏休みの宿題も、それぞれの学年用の宿題帳がありました。子どもの頃には、なんと厚い宿題帳なのかと思いました。それと、日記帳です。山口県で制作された日記帳で、それを書くのが大変でした。ただ、その日記帳の各ページの下か横の余白部分に、山口県の一口メモみたいなものが書いてあって、たとえば、山口県には日本一長いベルトコンベアーがるとかなどが書いてありました。それを読むのが好きでしたね。
小学校の水やり当番もありましたね。
本当に懐かしいですね。
ありがとうございます。


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