防府出身者・在住者のための情報掲示板2013年No.990

・・・ただ今、投稿募集中!お気軽に、どうぞ!・・

掲示板メニュー 前の掲示板 次の掲示板 投稿はこちら このサイトを推薦します
掲示板のこのページの評価をお願いします。
No. 登録日付 お名前 ご住所 内  容
9890 6/10 taka21 防府市植松

○ 田中正穂さんへ
貴重な情報、ありがとうございます。
映画「マイマイ新子と千年の魔法」の頃の少し前ではないでしょうか。
「周りの友達もみな貧乏人ばかりでしたから」の言葉に目がとまりました。私の生まれる前の頃のお話ですが、昭和30年代後半も、今思えば、みんな生活が苦しかったのだろうな、親に迷惑をかけたなと思うようなことばかりです。でも、心豊かな時代だったように思います。
協和発酵のおやつのお話。当時の様子がよくわかり、興味深く読ませていただきました。投稿していただかないと、全く知りませんでした。ありがとうございます。もし、投稿がなければ、「防府も高度成長期で発展し・・・」のように、当時の人々の暮らしぶりも将来に残ることはないと思います。
「あめふる ふるさとは はだしであるく」私も好きな句です。私よりも昭和8年生まれの母の方が好きだと思います。
私は、昭和40年幼稚園の頃、市道も舗装されていなく、雨の中、市道やあぜ道をはだしで歩いた「足の裏」の記憶を思い出します。
今日のような梅雨の天気の防府にピッタリの句だと思います。

最後の「悲しい思い出、辛かった思い出、楽しかった思い出、今となってはどれもこれも私にとっては貴重な宝物です。」すばらしいお言葉ですね。きっと、これが、ふるさとなのでしょうね。

お忙しい中、申し訳ありませんが、なにか思い出されたら、投稿をお待ちしています。本当にありがとうございます。

○最近の防府市内
昭和の時代の建物の立て替えや取り壊しが進んでいます。三田尻病院さんも新しくなりましたし、近所では、華城小学校横のスーパー山本さんがかなり以前から閉店されていましたが、建物が取り壊されました。年月が経つとしかたがないですね。
子どもの頃の建物が建て変わって、残念に思っていたら、さらにその建物さえも建て変わり、子どもの頃の記憶は、遠くへ流れていきます。
近所には、大型バスを改造して移動販売をもされていた、スーパー山本の事を知っている方も、だんだんといなくなってくるのでしょうね。

また、この春2013年4月に閉店した敦煌防府店も残念です。シャンピアホテルの開業と同時に開店し、サルビアホテル、アパホテルとホテルの名前は変わりましたが、営業は続いていました。会社の同僚と行った思い出があります。

9891 6/23 爺河童 茨城県牛久市 田中正穂様、皆様

田中様、小生の饒舌で、冗漫、冗長に満ちた拙文に眼を通してくださり恐縮しております。お聞きするところ、田中さんと私の年齢差は略5年かと思いますが、住んでおられた所も近く、華浦小学校を卒業され、さらに12歳の時には、私は家族と共に大阪に、田中さんは東京へと引越しされた由で、時は違えど、同じような境遇を経験され歩まれて来られたことに、「他生の縁の深さ」を感じざるを得ない心境です。

★田中さんは「種田山頭火」の俳句を引用されています。実は、華浦小学校に種田君と名乗るおとなしく成績優秀な同級生がいました。彼の実家は確か天神橋商店街に軒を構える老舗「種田商店」だったと、私の儚い記憶にあります。夏休みのある日、彼から「家」に遊びに来ないかとの誘いを受けたことがありました。店内は味噌か醤油の香ばしい、匂いがたちこめていました。大いに食欲をそそられました。母上が二人を呼びとめ、「すまないが二人とも、靴を脱ぎ、足を洗って、この樽の中に入って「豆」を踏み潰してはくれまいか」「そのあとは昼飯にしよう」と、高さ3メートル、直径4メートルはありそうな大きな木樽を指差して言いました。二人は、用意された梯子で樽の真上まで登り、その樽の中に足を踏み入れました。蒸した大豆がぎっしりと敷き詰められ、初めて嗅ぐ樽の中の匂い、そして踏み始めますと、何とも言えない感触が足の裏から、くるぶし、すね、ふくらはぎ、に伝わってきました。
同級生の種田君は、ひょっとするとあの「種田山頭火」の直系か縁戚に当たるのではないかと思っています。今も健在ならば種田君は71歳から72歳になっておられるものと思います。お会いしたいものです。
9892 6/23 田中正穂 埼玉県入間市 ■takaさん、早速のお返事ありがとうございました。わたしも雨の日に裸足で学校から帰ることがよくありました。現在住んでいる関東平野と比べ中国山地の土は裸足の足にとっては極めて心地よい気がします。あの山頭火の俳句は防府出身者にしか詠めない句ではないでしょうか。また、あの句を真に体感をもって共感できるのは防府で暮らした人に限られるのではないでしょうか。こんなこと勝手に決めつけると山頭火の愛好者に叱られますかね。

■この掲示板にはじめて投稿してからもう何年も月日が経ちました。今回爺河童さんに触発されて、思わず長い駄文を投稿してしまいました。しかし、過去の皆さんの投稿をいくつか拝見して安心しました。なぜなら、防府を愛する心と懐かしむ気持ちでこの投稿欄は支えられていることを再認識したからです。気がつくのが遅すぎましたが。

■takaさんのコンセプトは単なるノスタルジアではなく、防府そのものを過去から現在、未来へと丸ごと位置づけようとなされているとお見受けしました。自分としては過去の思い出を綴ることぐらいしか出来ませんが、これからもよろしくお願いします。
9893 6/24 taka21 防府市植松 爺河童さん、田中正穂さんへ
お二人の投稿をほぼ同時にいただきました。ありがとうございます。
爺河童さんの種田さんのことは、気になりますね。ありがとうございます。また、樽の思い出は、素晴らしい思い出ですね。今では、考えられないことです。
子どもたちのにぎやかな声や臭いも伝わってくるような感じがします。

田中正穂さん、そうですね。私も山頭火の句は、防府で聞くのが一番だと思います。雨の句もそうですが、「分け入っても分け入っても青い山」などの句も防府の山を私は連想します。俳句は想像力を刺激します。
これからも、過去の小さな思い出で結構です。
どうぞ、よろしくお願いします。


○昨日は、旧秋穂町大海へ行きました。
さて、昨日は、秋穂町大海の親戚へ母と所用で行きました。遠い親戚なので、私は家に行くのは初めてでしたが、母の過去の記憶をたよりに行きました。大河内バス停の近くでしたが、会えてよかったです。母も親戚の方も80代。外で二人が話す声が、人通りもない近所の家家に響き渡ります。二人の苦労話が続きます。その声は、はずかしいとも思いましたが、いつまでもいつまでも、元気であって欲しいと思いました。


今は夜はカエルの大合唱です。さまざまな蛙の声がします。
テレビの音を消すと、中学生高校生時代に、蛙の声の中、期末試験の勉強をしていたことを思い出します。防府市内、小雨か曇りの天気が続いています。


○ご援助、ご配慮ありがとうございます。
多くの皆さまから、ご援助を頂き、本当にありがとうございます。大切に使わせていただきます。
9894 6/25 Kazu 兵庫 篠山 先日九州バイク旅の帰りに、国東半島から徳山経由で帰宅しました。
フェリーはガラガラで採算割れの感じがしました。
野島の横を通過するんですね、航路は、徳山〜野島〜国東でも良い気がします。
さて本題、井上山の旧NHKのアンテナ基礎が神社の裏山にあるのを知っていたので、写真UPするつもりで出かけましたが、神社の裏山自体が無くなっていて・・・。
帰りにサンドイッチ買いにF葉屋へ行ったら、店が無くってやっと店探して食べた卵ハムサンドは
コンビニの方がずっと旨い気がして残念でした。
思い出の中で美化されていくのでしょうね。(昔のままの結構なお値段でしたけど)
でも、猪俣のラーメンは相変わらず素朴な味で。猪俣君元気にしてるだろうか?
9895 6/26 taka21 防府市植松 ○Kazuさんへ
本当にありがとうございます。井上山は残念でしたね。あれば、私もNHKが防府にあったという証拠を見たかったです。そのお気持ちがうれしいです。また、旅行お疲れ様でした。私も一度だけそのフェリーに乗りました。

そうですね。
思い出がそのまま残っていることはないですね。どうしても、自分や世の中の環境も変わってきていますし。。。。
今、変わったなと思って残念に思っている風景や建物が、さらに変わりつつあり、その変化に、驚くことが増えてきました。今日も防府駅前のアスピラート(以前は、国鉄の車庫でした)の前の建物(林正美堂さんの道路の反対側)が解体されていて、ビックリしました。
今を大切にしないといけないなと思います。
9896 6/27 田中正穂 埼玉県入間市 爺河童さん、素晴らしい体験談をありがとうございました。思わず引き込まれて読みました。
■種田家はかつて宮市の実家から防府の駅まで行くのにすべて自分の地所を歩いて行けるほどのお大尽でしたが、明治の終わり頃借金返済のため、財産をすべて失っています。その後大道で種田酒造を開くのですが、これもうまくいかず、間もなく大正のはじめ頃でしたか、破産し一家離散してしまいます。そして、離散後、山頭火は熊本に移り住み古書店を開いたそうです。
■そんなわけで、わたしとしては、長年、防府には山頭火の親族がおられるということはあまり念頭にありませんでした。今回爺河童さんのお話を伺い、はて、然もありなんと考え直した次第です。現在、防府には「山頭火の会」という集まりがあります。そこへ問い合わせられたらひょっとして種田さんの消息が分かるかも知れません。再会できたら素晴らしいですね。

■takaさんのお母さんのお話、まるで手に取るように伝わってきました。まるで、元気なお母さん達の話し声が聞こえるような気がしました。懐かしい防府の方言が飛び交っていたことでしょう。20年以上も前に他界した母のことをふと思い出しました。私の母は防府で生まれ防府で育ちました。その後、東京に引っ越しましたが、死ぬまで防府の方言で通しました。懐かしい方言です。

憶えている方言をいくつか挙げてみます。間違っていたら教えてください。
◇女子が主に使っていた言葉
「うちゃあ、あんた、すかん」「うちゃあ、あんた、すいちょる」
「かさん、のせちゃるけん、いっしょに、かえらん?」
「きれいなかったんよ」(ここで使われている形容動詞はまるで否定形のようにきこえますね)
◇男子が主に使っていた言葉
わたしが住んでいた港寄りの地域と商店街のある地域とでは微妙に違っていた記憶があります。わたしの住んでいた地域が一番汚い乱暴な言葉遣いではなかったでしょうか。
「しばく」「しばきまわすぞ」「しばきまわっしゃるぞ」「わりゃ、しばきまわっしゃるど」「わりゃ、しばきまわっしゃるじょ」
 (かなり、不穏当な例ですが勘弁してください)。
◇その他
「ほいと」「ちばける」「てんぷら」(厚揚げのことなんですね)
「ねんごうな人」(この言葉は母がよく使っていました。決して標準語には置き換えられない不思議なことばです。)

「ていねいな標準語を使いましょう」小学5年生の時こんな運動が学校にありました。方言を使った者は違反カードを渡されることになっていました。わたしは、子どもながらにこれは変だと思い自分なりの抵抗を試みました。一切言葉遣いを改めなかったのです。大人になった今ようやくあの頃の自分の気持ちを弁護することが出来ます。つまり、幼いながらも自分のアイデンティティを傷つけられる不快感を感じていたのだと思います。結局クラス中のカードがわたしに集中し、その大量の違反カードを缶の箱につめて、みんなに見せびらかしました。あの運動がどのような結末を迎えることになったか、わたしは知りません。しかし、あの出来事以来わたしの中にはアウトローの精神が芽吹いたことは確かです。

■とは言うものの、東京に出てから何度も方言で悩みました。方言を使って笑われることもたまにありました。いつしか、無口となり、高校の頃はひどい吃音症になっていました。大学の学生の頃ようやく方言を見直すことを悟り、社会人となって人前で話す職業に就いからやっと吃音から解放されました。

■方言は故郷です。わたしにとっては母そのものです。いつまでも大切に残していって欲しいものだと切に願います。
9897 6/28  やまいも 横浜市 takaさん、大変ご無沙汰をしております。
また、17年ものサイト運営ありがとうございます。とても感謝しております。気になって、私がいつから投稿したのか「やまいも」でサイト内検索したら2002/9/15でした。もう10年前なんですね、早いものです。
前回の投稿から、長女の子供(孫)の誕生、長男の結婚式と私事で色んなことがありましたので結構バタバタしておりました。でも、初孫はとても可愛いですね。会いに行くのが楽しみですが、PCをWin8に買い替え、skypeで繋がるようにしましたし、写真やビデオもどんどん入れれるように外付けのHDも購入し準備万端です。
仕事の方は、あと数年、年金が貰えるようになるまでは頑張らないといけません。
こんなことや健康を心配をする様な世代になってしまいました。ただ、実家の両親が未だ元気なことは幸いです。
そんなこんなの状況です。防府の話題が無くて済みません。また、お邪魔します。
9898 7/2

長ねこ♪

名古屋市

ご無沙汰しておりました!
もう7月になりましたね。早いものです。

私事で恐縮ですが、6月の最後の日曜日は、名古屋駅の上にある料亭で、息子の彼女の家族との「両家の顔合わせ」がありました。最近は結納はしないで、顔合わせという食事会を開くことが多いのだとか。会場の予約から司会進行まですべて息子が取り仕切りました。
まだまだ社会人3年目、早すぎるかなとも思いますが
自分達の力で生きていこうという意思を尊重し、見守っていきたいと思います。

さて、父のアルバムから、昭和30年9月に撮影された防府基地(当時は南北に別れていなかったようです)の全景の写真と、昭和35年に撮影された防府基地の記念日の写真をお送りします。全景の写真は、当時の防府の様子がよくわかる写真になっています。
記念日の写真には、田島山がはっきり写っています。変わらない姿に安心感を覚えます。
昭和30年9月航空自衛隊防府基地(長ねこ♪さんより)

昭和35年航空自衛隊防府基地記念行事(長ねこ♪さんより)

9899 7/2 taka21 防府市植松 ○長ねこ♪さんへ
息子さん、おめでとうございます。しっかりとされていますね。
また、貴重な写真ありがとうございます。
ついこの間の事でしょうね。今では、基地周辺にもセブンイレブンやローソンなどもでき、住宅も建ち、道路は立派になり、環境はおおきく変わりましたね。
下の写真の山は、佐野山(中央左)と楞厳寺山(中央右)ですね。変わりませんね。多くのパイロットが、見た山々は全く変わりません。いつもありがとうございます。

掲示板メニュー 前の掲示板 次の掲示板 投稿はこちら このサイトを推薦します

私の好きな防府の場所は? アンケートにご協力を!