防府出身者・在住者のための情報掲示板2013年No.991

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No. 登録日付 お名前 ご住所 内  容
9910 7/5 爺河童 茨城県牛久市

「方言はいじめ」に繋がる場合
「方言は故郷」とは田中さんが身を以って会得された格言ではないかと思います。
一方「方言や訛りはいじめの対象」に繋がる体験談を一つ。
NHK月曜日のゴールデンアワーに放映される"鶴瓶の「家族に乾杯」"という、ぶっつけ本番小旅番組があります。鶴瓶とゲストが全国各地を回わり、時には海外にも出掛けますが、その土地土地にくらす「家族」を尋ねて廻る、ほのぼのとした番組です。先週と先々週のゲストは萬田久子、舞台は、何と、懐かしの熊本県山鹿市鹿北町でした。敗戦の1年後の昭和21年7月末、妹二人を亡くしながら辛うじて親子4人が、満州のコロ島から引き揚げて落ち着いた所が、お袋の里、熊本県鹿本郡岳間村(当時)だったからです。現在、岳間村は町村合併で、山鹿市鹿北町となっていました。山鹿町立小学校に入る頃は、町内の木造二階建て引揚者寮「実践寮」に住んでいました。「実践」と言う子供心には難しい名称は、元の「実践女子学校寮」を改修したため、残された名前だと聞いたことがありました。60年近く帰郷していませんが、とにかくも、なつかしの故郷との出会いでした。あのころ身についた熊本方言と熊本訛りに、何の疑問も恥ずかしさも持たず、昭和26年4月、華浦小学校の4年生として転入しました。担任の先生に促されて、皆の前で熊本弁?
?で真面目に「挨拶」をした途端、爆笑の渦。当時も、華浦小学校としては、転校生は珍しい存在でした。よそ者、転校生は、ガキ大将やイジメ・グループの格好の餌食とされるのは、世の常とは言え、転校生当事者は、この爆笑の渦で、身がひるみ、うろたえます。今風に言えば、「頭がまっしろになる」状態に追い込まれます。初日は何とか通り過ぎましたが、翌日の昼休みだったと記憶しています。同じクラスのO君が、何か叫びながら、いきなり殴りかかって来ました。こちらは反抗・対抗することも出来ず、彼の成すがままでした。翌日もO君は私を見ては、殴りかかってきます。このことは家族の誰にも、クラス仲間にも話すことは出来ませんでした。O君のこの行為は半年ほど続きましたが、救いと言えば、O君単独の行為だったことでした。翌年5年生に上がった時、私はO君を裏山に誘い出し、1対1での「果たし合い」を敢行しました。一年経てばこちらも少しは大きくなり、周囲の雰囲気も分かって来ます。
「果たし合い」は私の完勝でした。それ以降、私に対する「イジメ」は完全に無くなりました。

9911 7/5 燃える闘魂 世田谷区 お元気ですか?
各方々の掲示内容見たら、月日の経ったのを感じさせますね。
taka21さん17周年のサイト運営、おめでとうございます。そして有難うございます。
私自身、NO.2125の登場させてもらってから13年が経ちました。その間、公私共に色々な事がありましたが当サイトに励まされたりしたことも多かったです。
本当に有難うございます。
初登場の時に中学1年だった愛娘は薬剤師、小学生だった息子は大学最終年で第一志望先が内定し、来年我が家を巣立つ予定です。奥方とのつきあいも、もう27年目のつきあい、互いに切磋琢磨して生活してますよ。
また、各方々の御子息様方もご結婚だとか、おめでとうございます。
でも、もし仮に当方は相談されたら間違いなく「まだ早い!と反対しますね(笑)
もっとも、もう愛娘は私の結婚した年齢を超えてしまったけど。

爺河童さんの掲載を見て思い出しましたが、当方の小金稼ぎはコーラやファンタの瓶拾いでしたね。昭和40年代のジュース瓶保証金10円は、当時物価価値からも高く、瓶をまとめて商店に持って行き、「板垣退助様1枚」をもらった時の手は震えてましたよ。
今ではもう有り得ない話、平成生まれの方にはわからない話だと思いますが(笑)

ところで、各方々に質問ですけど息子さんとの仲はうまくいってます?
やはり成長すれば、私の価値観、考え方等違って、イザコザは多いですよ。
私自身も防府に父と同居していた時は、父子仲は良かったとは思えず早く独立したかったけど。

9912 7/8 taka21 防府市植松

○爺河童さんへ
大変でしたね。防府市のつらい思いで、本当にすみませんでした。
「果たし合い」時代を感じますが、私の子どもの頃もありました。
いつも、ありがとうございます。

○燃える闘魂さんへ
こちらこそ、ありがとうございます。
お子様のご成長おめでとうございます。
昭和40年代のジュース瓶保証金10円。よく覚えていらっしゃいますね。ありましたね。懐かしいです。今思えば、最高のリサイクルでした。
わが家の中学生の息子とは、じっくり話す機会をつくったりして、なんとか、話せる環境をつくっています。
きっと、わが家が狭く、昔ながらの家であることがいいのではないでしょうか。わが家では、トイレと風呂以外は、ドアでなく、引き戸です。あのドアをしめる冷たい音がありません。
みなさんは、どうでしょうか。

9913 7/9 爺河童 茨城県牛久市

takaさん初め本HomepageへのBloggerさん。
暑中お見舞い申し上げます。
梅雨明け宣言が控え目に発せられた途端、日本列島は酷暑の波に襲われています。
熱中症や水の事故の犠牲者が報じられる度に、心が痛みます。どうか皆様、ご自愛専一にてお過ごし下さい。

「さきの殿様が、先生をお招きになり」
5年生の秋のことだったと記憶しています。「学芸会劇」の端役の一人に抜擢されました。演劇の題名は失念しましたが、「裏千家」か「表千家」にまつわる「時代劇」ではなかったでしょうか。私に課せられた短い科白の出だし文言だけは、今でも鮮明に覚えています。
「さきの殿様が先生をお招きになり、云々」。舞台稽古では、この科白を正座したまま、
観客席に向かってしゃべり始める訳ですが、その都度、指導役の担任を含め仲間たちから、嘲笑ともつかず冷笑ともつかない笑いが巻き起こります。その途端、こちらは、顔面に血がのぼり、体が硬直して喉がからからになってきます。科白の出だし、「先の」「殿様が」「先生」を発する私の固有のイントネーション、アクセントが、三田尻、山口のそれとは、大きく違うからです。方言は別として、どこにもアクセントを置かずに、ただ平坦に、平板に、話すのが熊本弁の特徴ではなかったでしょうか。しかしながら、本番での観客席は、静かに観劇頂いた様子で、劇の終わりには、会場に大きな拍手が鳴り響きました。

■国語の授業も嫌でした。先生の視線を出来るだけ避けてはいましたが、そんな時に限って、「○○君、次を読んで」と指名の鞭が飛んできます。覚悟を決めて読み始めますと、またまた、どっと笑い声が巻き起こります。例えば、「雨」「飴」「橋」「端」「箸」「船」「蛸」「凧」などの単語のアクセントの置き場があの頃はさっぱり分かりませんでしたので、標準語的なアクセントを持つ防府の人々には、私のアクセントは奇異に感じられたものと思います。

■勝間中学校の1年生に進級しますと、[Jack and Betty]つまり「英語」の授業が加わりました。「英語」は1年生一斉に「ヨーィ・ドン」。あの頃は、予備知識もハンディキャップも不要でした。しかも、日本語・国語で苦労させられた「イントネーション」や「アクセント」は「英語」の場合、全国いや全世界一律で共通です。今現在の「英語」に対する私の持論は、6Ks、つまり、興味、関心、好奇心、継続、経験、検証、ですが、当時は、始まったばかりの英語の授業に「興味」、まず最初のK、Kyoumi、を抱いたことでした。

「燃える闘魂さんから息子との関係はうまく行っていますか」とのご質問ですが、娘一人を持つ小生の経験を申し上げましょう。

息子の場合はともかく、独り娘の場合、両親や親族から遠く離れた遠隔地、或いは海外では、単独生活をさせないことが、まず、肝要かと思います。親のコントロールが利かず、糸が切れた凧のようにさ迷い歩き、結局は親の反対を押し切って、親元を去ってしまうことになりかねません。「国際結婚」とは、ある意味では、耳障りのいいものかもしれませんが、当事者同士、その両親、その親族にとっては、育ちも、言葉も、習慣も、生き方も、文化も違う人種同士のまじわりであり、集合体ですから、何事にも、寛容を貫き、耐えて、辛抱し、譲歩することにありましょう。爺婆の楽しみは、孫たちの要求をかなえながら、孫たちの成長を一喜一憂しながら見守ることになりましょうか。

所詮叶わぬ夢ですが、もし小生に息子がいたならば、頑固一徹、真面目人間を貫き通した亡父を偲び、父子の関係はつかず離れずの男同士の心意気を保ちつつ、時には二人静かに酒を飲み交わし、息子の将来、やがて訪れる息子の嫁さん、そして息子夫婦の将来について、語り合ってみたいものだとつくづく思うこのごろです。

9914 7/10 燃える闘魂 世田谷区 みなさん、お元気ですか?
関東は早々と梅雨明けし猛暑が続いてます。脱水症状にならないよう健康管理には十分お気をつけ下さい。
○taka21さま
そういえば敦煌が閉店したそうですね。
母の生前に連れて行った8年前位が最後でしたが、当時、防府限定「clubわっしょいカード」を持参すれば杏仁豆腐がサービスで出て、母がそれを美味しそうに食べていた一コマを思い出し、少々センチメンタルになりました。

私の防府実家もそうですが、昔の家は「田」型の家、真ん中に大黒柱が立ち部屋4つの木造平屋建が多かったですね。全ての引き戸を外せばかなり広くなり、何故か嬉しくなって走り回った思い出もあります。

御子息は中学生ですか。
人格形成の大事な時期です。会話を大事にしてくださいね。
私の場合、この頃にもう少し進路等の会話をしていれば良かったのかも、と悔やんだりもします。

○爺河童さま
ご回答有難うございます。
今年大学を卒業し、勤め先への通勤経路とほぼ私と同じ娘とは、たまに麻布や新宿で一緒に飲んで「飲み友達化」しています。娘は「戦国武将好き歴女」で、共通の趣味もあり二人で旅行する事もありました。(部屋は当然別ですが(笑))
一般的に父娘はフレンドリーな関係の方が多いみたいですね。
また、もし仮に、私が防府に住んでて、娘が突然「一人暮らししたい」とか「東京に出たい」などと言ったら顔を真っ赤にして反対するでしょうね。(こんな番組を見て二人で笑ってました)
「今は、熱望した職業にもつけたばかりだからスキルアップを考え、結婚はそれからにしろよ!」と一緒に飲んだ時、私はわめいてます。(笑)

息子となると、やはり難しいですね。双方に正当な言い分があると思いますが。
私自身を省みますと、「地震・雷・火事・親父」(死語?)の時代に育った人間でしたから、子供の頃、父親は嫌いでしたね。はっきり言って。
で、18歳を過ぎたら、金銭面等で絶対に親の世話になりたくない。先ずは自分で働いて、その貯金で大学に行って早く独立したい。と高校生の頃から考えてましたよ。
私自身が父親の事を再評価したのは、「東京に出て以降」と「亡くなって以降」ですね。
因果は巡るんでしょうか。
父親の命日と誕生日には、仏前に盃を置いて語りかけたりもします。

爺河童様、これからもよろしくお願いします。
9915 7/11 錦蓬莱 愛知県 takaさん、サイト運営17周年、ご苦労様です。
1年振り?でしょうか、投稿させて頂きます。

町工場を定年退職以来6年務めて来たSMRJへの販路開拓支援活動も本年3月で終了、メーカーや商社の婚活も契約実績を上げた他、航空機部品産業への糸口もつけることが出来ました。これで晴耕雨読、文字通り第二の人生へ踏み出せました。零細な魚食民の末裔として、毎日少しの味噌・醤油と野菜を頂き、朝夕一万歩のストレッチ&ウオーキングをしながら健康管理に努めています。
徒然なる儘の旅日記や「わが故郷の風景」も少しづつ書き加えていますよ。

魚食民の習性でしょうか、スーパーでの買い物は魚売り場の見学を常としています。
そして、遂に見つけました。「山口の鱧」「天神鱧」です。昨年「佐じか」の社長さんに教えて頂いたのですが、鱧は梅雨明けの今が旬なのですね!
湯引きして、贅沢にも二日に亘って味わいました。

【鱧を讃えて三曲】(安本譚錦蓬莱)
故郷は 老いし友が 揚げし鱧
    ゆっくり食んで 深く味わう

故郷は 豊かな海に 湧きし日々
    昔は鰻 今まさに鱧

故郷の 杯を重ねし 友垣と
    腕を組んで 天に感謝
2013年7月9日天神鱧(錦蓬莱さんより)

2013年7月9日天神鱧(錦蓬莱さんより)
9916 7/12 taka21 防府市植松 ○燃える闘魂さんへ
いつもありがとうございます。
敦煌さんの閉店も心配ですが、どうも、玉屋模型さんも閉店されたとの話を聞きました。私は、まだ未確認ですが、以前、No.9803むーさんが書かれていたことを思い出します。

息子の件、ありがとうございます。考えさせられました。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。

○錦蓬莱さんへ
長い間のお勤め、お疲れ様でした。大変でしたね。
また、いつも投稿ありがとうございます。
「天神鱧」いいですね。まだ、残念ながら、今年私は食べていません。
愛知県も暑いでしょうね。どうぞ、ご自愛くださいますように。
また、懐かしいお話の投稿をお待ちしています。
9917 7/12 爺河童 茨城県牛久市 「幸せます」はやさしい言葉、農業 田中 崇(山口市 74)
“山口県防府市の職員らが、左胸に「幸せます」というロゴが入ったポロシャツを職場で着始めたという。―――”
と、まるで、時期を得た、「taka21.com.」へのメッセージと見まごうばかりですが、実は、今朝の朝日新聞、全国版の「声」欄に掲載された投稿です。田中崇さんは私より三つも先輩で、なおかつ、防府市出身者とのことで、非常に身近に感じた次第です。ところで、田中正穂様のお母様も「幸せます」の言葉を使われていたのではないかと思います。
9918 7/12 taka21 防府市植松 ○爺河童さんへ
投稿ありがとうございます。
「幸せます。」という言葉は、どちらかと言えば、私が平成3年に県庁の外郭団体で働いていた時に、企業に依頼や講演会などの案内をする時などの最後に必ず、この言葉を使用していました。
私は、その年に東京からUターンをしていたので、この方言が役所でよく使用されているので、驚きました。また、使用している方が、方言だと知らなかったことに、さらに、ビックリしました。
自治会の役員で、地元を回るときにも、よく使いますね。
それが今では、このような形で一般的になったことが、うれしいですね。情報をありがとうございます。
9919 7/14 長ねこ♪ 名古屋市

暑中お見舞い申し上げます。

毎日猛暑で電車通勤も汗だくです。

防府市台道のコーヒー屋さん「ほたみ珈琲」さんから「幸せますコーヒー」を取り寄せました。
2013年7月14日防府市台道のコーヒー屋さん「ほたみ珈琲」さんから「幸せますコーヒー」(長ねこ♪さんから)
アイスコーヒー(無糖)とドリップパックです。
防府では、幸せますブランドを立ち上げているとのこと。ほっこりするような温かいデザインのロゴが可愛らしいです。
益々の発展を祈っています。


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