防府出身者・在住者のための情報掲示板2014年No.996

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No. 登録日付 お名前 ご住所 内  容
9960 1/8 taka21 防府市植松

○COLTSさんへ
ご報告ありがとうございます。私が、あのまま東京で暮らしていたら、見つけて歓声をあげていたと思います。白銀さんは、様々な広報展開をされています。
ところで、お母様のお具合はいかがでしょうか。

○爺河童さんへ
いつもお世話になっております。今年もどうぞよろしくおねがいします。

○こうとく水彩紀行展のご案内
毎年好評頂いております、「こうとく水彩紀行展」を2014年1月11日(土)〜19日(日)にドコモショップ防府店2階で開催されるようです。 
入場無料です。ご案内します。
http://www4.ocn.ne.jp/~ykotoku/

9961 1/9 爺河童 茨城県牛久市   24年10月10日付け「N・Y」さんの投稿を拝見して、この「taka21.com」を囲む仲間に、小生と同世代の方がおられることに意を強くしたものです。また、“白銀”の販売を池袋東武の広告で見つけられた[COLTS]さんご夫婦の感慨深げなご様子に接して、ほのぼのとした気分にさせられました。
 昭和17年1月22日、満州国間島省(現吉林省)鶴城区図門(実際は共に人偏がつきます)生まれ。今月で72歳の「年おとこ」です。21年7月、舞鶴港に父母姉の4人で生還。(逃避行の途中で二人の妹を亡しました)お袋の里、熊本県鹿本郡(当時)の叔父宅に居候。山鹿小学校―>華浦小学校―>勝間中学校―>鳥飼中学校(大阪府摂津市)−>淀川工業高校(当時大阪府)―>習志野市―>牛久市。
 これは、私がこの世に生を受けて以来、恐らく終の棲家になるであろう現在地に至る軌跡ですが、防府市三田尻には、華浦小の四年生から勝間中学生1年の2学期までの間の幼・少年期を過ごした懐かしの町でした。小学校で一度、中学校でも一度の転校を余儀なくされましたが、顧みれば、ちょっぴりほろ苦く、そして懐かしい想い出ばかりです。
 杉本利兵衛本店が、私が住む局の内から華浦小学校へ通う途上にありました。下校時には、腕白仲間と一緒に、“赤々と燃える炭火の上で竹輪を焼く光景”を、ガラス越しに、指を銜えて、通り過ぎたものでした。当時“白銀”や“竹輪”が、貧乏家庭の使い古したちゃぶ台に上るのは、お正月にあるか、なしかの時代でした。
 昨年末から、女房にも僅かながら年金が出ることになり、久しく口にしていない“熊本のからし蓮根”と“白銀”の取り寄せを思いつき、直接注文したのが昨年の12月13日でした。老舗の誇り、老舗の技を受け継いだ風味を、暮れから正月にかけて堪能したところでした。
[N・Y]さん、[COLTS]さん、Takaさん、そして皆さんに感謝をささげ、今年も「一・二病息災」で乗り切りたいと思います。
9962 1/14 taka21 防府市植松

○爺河童さんへ
投稿ありがとうございます。
白銀さんだけではなく、山口県内の蒲鉾などの練り製品は、厳しい時代になったと伺っています。
1つは、ご贈答で使われていた白銀などの練り製品を使用する機会が減ってきたことです。子供の頃に比べて、本当に減りました。というか、なくなったと捉えたほうがいいのかもしれません。
2つめは、全国メーカーの台頭です。流通も大型のショッピングセンターなどでは、地場産品が店頭に並ばないこともあります。PBも増えて来ています。
今の子どもたちには、地元の味というのが、わからない時代なのかもしれません。
業界も、積極的に販路拡大に挑戦されているようですが、消費者である私たちも応援したいものです。

9963 1/15 N・Y 広島市佐伯区  taka21様、皆様、遅ればせながら明けましておめでとうございます。(年末に引いた風邪のせいで体調、今一)を言い訳がましくだらだらと怠惰な新年を過ごしていて、新聞のチェックも出来ていませんでしたが、1月8日の中国新聞に昨年の本掲示板をも賑わした「獺祭」の記事を発見。
すでにご存じとは思いますが、本年初投稿とさせていただきます。小さな酒蔵 大きな飛躍 〜山口の山奥発 世界へ〜 地上12階のビルが完成しても、「山口の山奥の小さな酒蔵」と染め抜いたのれんは下ろさない。岩国市周東町獺越(おそごえ)の旭酒造(桜井博志社長) 純米大吟醸酒で国内トップの出荷量を誇る「獺祭」の蔵元だ。昨年9月期の売上高は約39億円。10年前の10倍余りに膨らんだ。首都圏を中心に米国やアラブ首長国連邦のドバイなど24の国と地域にも出荷する。「小さな酒蔵」はもはや世界的なブランドになった。今春、フランス・パリのシャンゼリゼ通りに、初の海外の販売拠点を設ける。狙うはシャンパン市場。和食レストランも併設し、日本酒文化を丸ごと売り込む。凱旋門そばの一等地で、「小さな酒蔵」が世界を酔わせる。
と昨年本掲示板でも盛り上がった「獺祭」の情報に乗り遅れた(飲み遅れた)小生ですが、今度こそはと意気込みました。が、如何せん、人気沸騰が尋常じゃない。何処のお店も完売、完売。入荷予定も全く不明と…山口県が“元気”なのはまことに結構。 なれどこの現象にはちと困った(勝手な言い分じゃが)。

それから、昨年私が投稿した「鬼祭り」の件ですがうろ覚えで投稿してしまい、申し訳ありませんでした。横入川であった「鬼祭り」ではなく、春日神社か他のお祭りに参加した鬼さんの流れ解散組の鬼さん三、四人が帰宅途中に格好の子供を見つけ、「ウオーっ」とばかりに脅しをかけた?
鬼さんの一人がタテノボリの傍のお地蔵様の前を私の自宅の方に追いかけて来ました。あとの二、三人の鬼さんはタテノボリの往還を百間土手の方に行きましたから問屋口か向島にお住いの鬼さんだったかもしれません。(私の捏造記憶かも) タテノボリの往還と言えば当時、木炭バスが問屋口まで走っていた記憶があり、タテノボリの往還は百間土手に繋がっていて、そこはちょっとした坂道になっていて、この坂に差しかかった木炭バスはエンコし、降りた乗客がバスを押すという光景を見かけた記憶があります。(この記憶自信あり、でも66年前のことじゃから)
9964 1/24 sensor 防府 こんにちは、久しぶりの投稿です。爺河童さんに刺激され、アップしました。今年、もうすぐ後期高齢者の仲間入りしますが、防府が、少しでも活性化するようにと、微力ですが、そのお手伝いをさせてもらっています。
この掲示板でも、一時期話題になったと思いますが、群馬県初代県知事、楫取素彦男爵は明治26年から大正元年迄20年間、防府市の岡村町に在住していました。
昨年12月4日、NHKから正式発表された来年の大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公楫取美和子さんの御主人です。じつはこれまで、楫取夫妻の存在を防府市民は、ほとんど知っていませんでした。
大河ドラマ決定で、桑山大楽寺の楫取家墓地に参拝する人が急増しています。美和子さんは、大正10年9月7日に岡村町の自宅で亡くなっていますので、30年間、防府の住人でした。これからも話題になると思います、見守ってください。
70歳の手習いで新しくフエイスブックにも挑戦しています。
9965 2/5 taka21 防府市植松 みなさま、お元気でしょうか。
私は1月後半は、風邪でダウンしていました。今は元気です。

○N・Yさんへ

ありがとうございます。獺祭は、社長さんのリーダーシップで、本当に有名になりました。20年前には、想像もできなかったことです。
「鬼祭り」の件、ありがとうございます。印象深く覚えていらっしゃたのでしょうね。
時代は変化変化の連続で、瞬間瞬間かわっていくものだと本当に思います。田舎も変わらないようで、変わっています。だからこそ、毎日を大切にしていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

○sensorさんへ
いつも、情報ありがとうございます。感謝申し上げます。
防府の地元で、盛り上がるといいですね。

○山陽楼さん閉店
このサイトでも大変にお世話になりました山陽楼さんが、残念ながら、昨年閉店されました。お問合せのメールもいただきました。
閉店はされましたが、私たちの胸の中にはいつまでも、残っていると思います。
以前の特集ページ「山陽楼と私の思い出」が懐かしいです。
9966 2/7 爺河童 茨城県牛久市 N・Yさんの旭酒造の純米吟醸酒「獺祭」の海外市場への開拓の話に誘われて。

 親父は根っからの大酒飲みで、日給の大半は酒代に消えていた。三田尻在住の頃は、「オイ、○○、酒、買ってこい」と怒鳴られながら「どぶろく」や「焼酎」を買いに遣らされた。大阪に移り、4人の子供たちがそれぞれ巣立ち、老妻にも先立たれてからの親父は、一升瓶を足元にどんと置いて、食事もろくに摂らず、朝から晩まで独り酒を楽しんでいた。
 その頃の私は、勤め先の機械製品の新市場開拓のため、ギリシャ、キプロス島、トルコ、サウジアラビア、エジプト、レバノン、ヨルダン、イラク、バハレーン、UAE首長国(ドバイ、アブダビ、シャルジャ等)、マスカットオーマン、インド、パキスタンなどの国々を駆けずり廻っていた。大阪営業所から本社の輸出部門に転勤になって以来、1976年(昭和51年)から1985年(昭和60年)にかけての10年間のあいだであった。
 その親父も既に無く、やがて、十三回忌を迎える。私は幸か不幸か親父の血は引かず、お袋の下戸の血筋を受け継いでいるようだ。酒類はビールだけ。残念ながら、どんな高級・高価な ワイン、ブランディ、日本酒、であっても味が分からない。無理して飲まされると、頭が痛くなる性質だ。アルコール類がご法度の上記イスラム圏での駐在や長期滞在にも、それほど苦痛を感じなかったのは却って幸いであった。
 その国々に「小さな酒蔵」が進出し「獺祭」などの銘酒が販売されると言う。時代も変ったものだが、日本の食文化の海外展開を目指す、旭酒造の桜井社長には、拍手喝采をおくりたい。
 ところで、「獺祭」の「獺」は「かわうそ」をさし、「獺祭」(だっさい)とは、詩文を作るとき、参考書、参考文献をひろげ、散らかすこと。「かわうそ」が獲った魚を岸に並べるさまが、魚を祭るように見えることから、出来た言葉とされていると、(旺文社の国語辞典)にある。健康に感謝しながら、老いても「興味」「関心」「好奇心」は失わないようにしたいと、思っている。
9967 2/11  N・Y 広島市佐伯区 爺河童さん。
あなたの投稿にN・Yの文字を見て 小生、ちょっと、面はゆい感じではありますぃのあた(taka21さん、「のーた」はこれでよい?) 爺河童さんの抜群の記憶力と博識、そのシーンに引き込む巧みな文章にかねがね尊敬の念を抱きつつ、投稿を読ませていただいておりました。
昭和21年7月満州から母上様のお里熊本県山鹿に引き揚げ、「実践寮」に住み山鹿小学校入学昭和26年防府市局の内に引っ越し、華浦小4年生に編入。熊本弁・アクセントで「イジメ」を受けいわれのない暴力に耐え忍び、ついには「真昼の決闘」ならぬ「裏山の果し合い」を敢行、完勝。「イジメ」を克服されました。此のたびは誕生日まで御披露されましたので 私メも公開。 小生、昭和16年1月1日台湾台中市生れ、明けて73歳にあいなりました。爺河童さんの一つ上ですぃね。
おせちの蒲鉾が「白銀」とは豪勢。よいお正月でしたね。爺河童さんが述べておられるように当時、私どもの食卓にも「白銀」や「岡虎」のように色白で品よい練り物はのらなかったですね。かまぼこも竹輪も勿論、食したことはありますよ。
食したことは(語気鋭くいうことか)うどん粉の勝った色黒のなんか、他に何も無いから仕方なくというかね、ね。(takaさんには分からんじゃろか)当時、我が家の食卓の蛋白源といえば、よくて鰯の塩焼き、サバの煮つけ、「キンタロー」はよう食べた。
何もないときは、母が「貝掘ってきてー」の貝汁、剥き身にして佃煮。最近では鰯もキンタローも高級魚? 年末に、萩の知人から頂いた干物の詰め合わせにキンタローがあったのには大感激。(傍らに「獺祭」があったら言うことなしだったが、あいにく・・)
小生、軽い脳梗塞を患って10年になりますが、現役の頃のようにはいかぬが、少しは飲みます。妻に従いよく、スーパーに行きますが、練り物の陳列棚に最近「岡虎の竹輪」をよう見かけるとみさん。(何故か「白銀」はおいてない)小生が「おっ!」と籠にイン。妻がアウト(今夜はおでんよ。「岡虎」はもったいない)と、(おでんの種は安い方でいいよ、これは晩酌のツマミじゃけー)と小生再びイン、ダンクシュート成功。帰りの車の中で、「最近、防府に行かんようになったね」と妻。「ふむ」と小生。「毎年盆には安養寺に墓参で行っていたから「白銀」の1本や2本、「岡虎」の5本や10本買うて帰りよったぃね」と妻。「また、防府に行こうぃね」と妻。「えっ」と小生、(あんたの行きたいんはインター下りて左じゃないじゃろ、左行っても安養寺にもうY家の墓は無いんよ。あんたの魂胆は読めちょるけー。右折じゃろう?山口の美術館じゃろ、お見通しよ。)
兄が岡山県の玉野市に住んでいたため、小生と妻が毎年墓参で帰防していましたが、兄が4年前に玉野市に先祖墓を移設しましたので墓参目的での「防府行」はなくなりました。安養寺のご住職は華陽中学校の先輩じゃがお元気だろうか。またもや、まとまりない駄文ですみませぬ。
9968 2/20 Kazu 兵庫県篠山市 先日、新聞で牛を貰ってどうしましょう・・・。って記事が載ってました。
天神様で牛が当たった人のことらしいです。
いまだに、生きた牛が景品なんですね。すごいですね防府って。
牛だからまだしも、犬とか猫だったら天神様の裏山は野良犬、野良猫のたまり場でしょう。
もしかしたら、天神山には、野良牛もいるのかも知れませんね。

日曜から九州へバイクで遊びに行きます。
年老いた両親へは、はるか彼方のフェリーの上から念力で御挨拶したいと思っています。
田舎はそうマメに帰る所ではないのでしょうね。
あまり代わり映えしない三田尻や華浦を見ると、そう思います。
三田尻湾の奥、勝間の港町。今でも営業してるのでしょうか?
中学校のころ、その店の息子と一緒に大人の営みを社会見学した強烈な体験によって、私の思考回路は、IPS細胞のように柔軟に寛大に変化したんだと『わしゃ、そうおもうちょる。』
9969 2/25 爺河童 茨城県牛久市

taka21さん、N・.Yさん、Kazuさん、sensorさん、ぱくぱくさん、六甲おろしさん、COLTSさん、manbouさん、hanaさん、錦蓬莱さん、やまねさん、トシさん、kaz.kさん、oceanBlueさん、長ねこ♪さん、けりーさん、燃える闘魂さん、田中正穂さん、やまいもさん、そして「本ブログ」に投稿されている皆さん、お変わりございませんか。

二週間前に当地に降った大雪は、まだ、北側路面に僅かな名残りを留めています。ここ茨城県南部の地域でも、降雪後の2から3日は外出もママならず、自然災害に対する脆さを痛切に感じましたが、幸いにして、断水、停電などのインフラの不備もなく、長野や山梨山間部のように、雪中での長時間の閉じ込め騒ぎは起こりませんでした。
「ソチオリンピック」も終幕し、今日、選手団が無事に帰国しました。お疲れさまでした。

◆『月の湯』の想い出―1
Kazuさんの「大人の営みを社会見学した」。このくだりに、思わず「ドキット」とする感覚が蘇りました。あれは確か、昭和28年11月末の「天神祭り」、「はだか坊祭り」の頃でした。勿論、華浦小学校も勝間中学校も休みで、近所に住む、「青少年」と言えば聞こえはよろしいですが、所謂、ガキ軍団が「局の内」にある『月の湯』という銭湯の近くに屯し、メンコ、ビー玉、相撲などに興じていました。午後3時から4時頃だったと記憶しています。私は11歳、小学5年生の洟垂れ小僧。軍団の中には多々良中の3年生や中学を出て家具職人やブリキ職人になった大将格の兄貴もいました。『月の湯』前の掘割の先はガキ軍団の格好の遊び場で、通称「高橋山」と呼んでいました。この「高橋山」を横断したところに、成人した大人しか行けない場所がありました。毎日午後4時過ぎになると、そこから、洗面器を抱え着物姿の妙齢のお姉さんたちが、艶かしい香りを放ちながら、次から次へと我々の前を通って、『月の湯』に入って行きます。そこで、大将格の兄貴が、すかさず「今夜も行くけんね!」と声を掛けます。すると「待っちょるよ!」と明るく笑顔で応じます。当時の小僧の頭には、うすうすは思い描けても、何のことやら明確には理解できないところはありましたが、早く兄さん格になりたいなァという願望だけは強いものがありました。今思えば、私にとって近所のガキ軍団が貴重な社会見学・社会勉強の指南役でした。「三田尻劇場」では、子供心にも扇情的と思えるポスターが貼り出されていました。若尾文子、南田洋子、主演の「十代の性典」だったと思います。小学生の映画館への出入りは禁じられていた頃でした。


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