防府出身者・在住者のための情報掲示板2014年No.997

・・・ただ今、投稿募集中!お気軽に、どうぞ!・・

掲示板メニュー 前の掲示板 次の掲示板 投稿はこちら このサイトを推薦します
掲示板のこのページの評価をお願いします。
No. 登録日付 お名前 ご住所 内  容
9970 2/25 爺河童 茨城県牛久市

◆『月の湯』の想い出―2

以前にも少し触れたと思いますが、熊本から三田尻局の内にあった父方の叔母宅の「おんぼろ離れ屋」に身を寄せた私の家族は6名に増えていました。満州から引き揚げの途中で二人の妹を無くしましたが、熊本の母方の叔父さん宅に居候した直後に次男、山鹿の「実践寮」に移り住んだ後に三男の弟が出来ました。「離れ屋」には既に叔父の親戚筋にあたる二つの家族が住んでいました。そこに我家族6名が加わり、木造平屋四間の家屋に、三家族、12人が、一つの便所、一つの流し、一つの竈、一つの井戸を共有する生活でした。
お風呂は「銭湯」が当時の社会状況でしたが、「離れ屋」から歩いて3分のところにある『月の湯』でのひと時が開放感に浸れる時でした。親父は42歳の男盛り、母も38歳の女盛り、姉13歳、私11歳、そして7歳と2歳の二人の弟からなる家族構成でした。そのころ『月の湯』は年配の短髪長躯のおじさんと若づくりのおばさん夫婦に、私より一歳年下で、華浦小4年生の可愛い女の子、H子ちゃんの家族が、使用人を使って経営していました。あるとき『月の湯』の暖簾を潜った時、番台に座っていたおばさんが番台の桟から体を乗り出して、「○○君のところは、これから、お金はいりませんよ」と小声で言いながら、払おうとした入浴料を押し返してきました。家に帰ってお袋にこのことを告げますと、「そうなのよ。理由はよく分からないけど、これから私たち家族全員、タダでいいって、『月の湯』のおばさんが言い張るのよ!」。
「局の内」は閉鎖的で保守的な小さな地域社会でしたが、「捨てる神あれば拾う神あり」の諺が、貧乏一家の全員のこころに響いた『月の湯』の皆さんのお心遣いでした。私たちが大阪に向かう昭和29年12月までこのご厚情に甘えました。その後、風の便りでは、「局の内」の『月の湯』は、天神松崎町に移ったと聞いたことがありますが、今はH子ちゃんはご健在でしょうか。

9971 2/26 長ねこ♪ 名古屋市 大変ご無沙汰しておりました。
ふと思い出して(すみません!)のぞいてみましたら、山陽楼さんが閉店されたとのこと、大変びっくりしております。残念でたまりません。
駅前のランドマーク的なお店でしたのでよく覚えております。
こちらに来てから電話での名産お取り寄せにも気持ちよくご対応いただいて感激したことも過去の思い出になってしまったのですね。
また、名産の蒲鉾も最近は地元での需要がないとは、なんともさびしいお話です。
蒲鉾は白銀、ちくわは岡虎、って決まっていましたよね。
最近、岩国の獺祭というお酒がテレビで話題になりましたね。こういううれしい話がもっと増えたらいいなと思います。微力ですが応援しております。

私の父が今年1月4日に永眠しました。
急だったので、この世にいなくなったことを受け入れるのに時間がかかりました。
時々FBに父親の思い出を投稿したりして偲んでいます。
父親は防府に2回転勤したので、防府の古い写真がかなり残っています。
snsでいいね!を押してくださる方がたくさんいらっしゃるのでうれしいです。
9972 2/26 爺河童 茨城県牛久市

◆『月の湯』の想い出−3
大正元年10月25日生まれの父は戦前、単身で朝鮮に渡り関東軍特務機関に志願、諜報活動に当たっていました。一方、幼くして両親を亡くしていた母は、郷里熊本から兄夫婦の家族とともに朝鮮の蜜陽(現韓国)に移住、爾後、京城(現ソウル)の電信電話局で交換手を務めていました。父の義姉(三田尻の叔母)、母の兄夫婦(熊本の叔父叔母)の立会いの下に京城で挙式。父28歳、母24歳の時でした。新居は定まらず、父の勤務地である満州各地を転々とせざるを得なかったようです。父は8月15日の敗戦のその日にも、豆満江以北の朝鮮民族居住地一帯で、諜報・宣撫工作・対反乱作戦・反日パルチザン討伐等の任務に明け暮れ、家族と離れて不在でした。父母の結婚から6年間の間に、姉、私、そして、二人の妹、和子、昭子が生まれました。二人の妹の名前は、この戦争の勝利を願って、「昭和」から一字づつ借用して名づけたと、後年、母から聞きました。不在がちの父に代わって、戦時下の異郷の地、冬季には零下30度にもなる地で、4人の幼子・乳飲み子を抱えた母の心細さの中での孤軍奮闘ぶりは、如何ばかりであったでしょうか。

◆『月の湯』の想い出―4
以下は、某新聞「私と戦争」に投稿した時の原稿に一部書き加えたものです。ご笑覧下さい。
昭和拾七年壱月弐拾弐日満州国間島省延吉郡図們鶴城区。これは私の戸籍に記された生年月日と出生地だ。間島省は現在の吉林省延辺朝鮮族自治州一帯を指し、図們江(朝鮮名、豆満江)を隔てて北朝鮮と接する国境の町が図們で、凍結したこの川を徒歩で越える脱北者の報道で、近年、日本でも知られるようになった。
ソ満国境警備、満鉄沿線警備、金日成率いる抗日パルチザン討伐に出征中の父は8月15日の終戦の日も不在であった。母は5歳の姉と3歳半の私には冬装束の上にリュックを担がせ、自分は2人の幼児を背負い、抱きかかえて、町内で急遽編成された避難団に加わった。決死の逃避行の始まりであった。戦地で敗戦を知った父は、自主的に武装解除、軍服、軍刀、小銃は丸めて池に沈め、ピストルだけを隠し持ち、朝鮮人に扮し、その年の初冬のある日、我々が収容されていた「撫順日本人民収容所」を偶然にも探し当ててくれた。母の喜びもつかの間、2人の幼子は、発疹チブスや栄養失調で次々と亡くなった。父はやがて、引き揚げ団の団長に祭り上げられた。女・子供・老人だけの逃避行は、図們、奉天、撫順へと続き、漸くたどり着いたのが「撫順日本人民収容所」であった。我々は、この収容所で、一冬を越したことになる。待ちに待った日本への帰国船が出港する「葫蘆島」に辿り着いたのは昭和21年7月中ごろであった。乗船後暫くして、夕食が配られた。握り飯と若布の味噌汁。飢えと渇きに慣されていた胃袋に大きな衝撃が走った。団長の特権を。
先の大戦の犠牲者は日本人だけでも3百数十万人、一方、侵略された近隣諸国の犠牲者は、計り知れない数に至る。今こそ、「何の為の大戦だったのか」、客観的観点から検証が急がれる。

9973 2/27 taka21 防府市植松

○N・Yさんへ
投稿ありがとうございます。感謝しております。
昔話をありがとうございます。
私にはわからないだろうということでしたが、わかりませんね。
キンタローは今も変わらずおいしいですね。食べる話は、今も通じる話です。
奥様との会話には笑ってしまいました。

○Kazuさんへ
投稿ありがとうございます。バイクの旅はいかがでしたでしょうか。
勝間の港町がよくわかりません。ビジネスホテルであれば、今はやめられて、施設が入居しています。念力の挨拶に、ふるさとへの思いが伝わってきました。

○爺河童さんへ
投稿ありがとうございます。昔の思い出を綴っていただき、ありがとうございます。
私の母は、80歳を超えていますが、過去の苦労話をよく聞きます。
みなさまの記憶をのこしていきたいと思っています。いつもありがとうございます。

○長ねこ♪さんへ
お父様、心よりお悔やみ申し上げます。看病など、大変でしたね。防府は思い出での地ですね。
自衛隊の関係者の方が、最初の基地ということで、退職後に防府の地に家を建てられる方が多いとお聞きしました。それだけ、思い出が深い土地なのでしょうね。
3月9日(日)に航空学生卒業式でF-4やF-15が防府の空を飛ぶ予定です。
麦畑の芽も勢いよく伸びていて、春の近づきを感じます。
またの投稿をお待ちしています。

9974 3/5 hana 防府市 こんにちは〜
ご無沙汰しています。お元気そうですね。
寒かったり、もう春かなと思わせたり、また寒くなるとか、早く春が来てほしいですね
久しぶりの快晴の3日、天満宮の枝垂れ梅を見に行ってきました。
暖かいこともあって、参拝客が多く訪れていました。
境内の枝垂れ梅は見事で、こんな綺麗な枝垂れ梅を見るのは初めてでした。
20140303防府天満宮の枝垂れ梅(hanaさんより)

20140303防府天満宮の枝垂れ梅(hanaさんより)
9975 3/5 爺河童 茨城県牛久市 ◆『花燃ゆ』&『防府』
■「花燃ゆ」:「sensor」さんから来年度のNHK大河ドラマの題名は「花燃ゆ」、主人公は防府に30年も住まわれた「楫取美和子」さんとのご紹介がありました。早速、Webで検索してみました。楫取 美和子(旧姓名:杉文);天保14年(1843年)- 大正10年(1921年)9月7日)。幕末の思想家・吉田松陰の妹。松陰門下の秀才・久坂玄瑞に嫁ぐも禁門の変で久坂が自害。未亡人となったのちに、群馬県令や貴族院議員を歴任した楫取素彦と再婚し、多忙な楫取を支えた。吉田 松陰:長州藩士、思想家、教育者、兵学者、地域研究家。明治維新の精神的指導者・理論家。幼時の姓名は杉寅之助。吉田家に養子入り後、吉田大次郎と改める。『花燃ゆ』は、2015年に放送される予定の、NHK大河ドラマ第54作。物語の主役となるのは吉田松陰の末妹であり、久坂玄瑞の妻となる杉文(後の楫取美和子)。実兄の松陰と久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤俊輔、品川弥二郎など松下村塾の弟子たちの人間模様を織り交ぜながら、幕末から明治維新へ向けた激動の時代を描いていく、とされています。
■「地域活性化と大河ドラマ」:政治、経済、文化が東京に一極集中し、少子高齢化と相俟って、地方経済は益々疲弊し、衰退して行く様相が日々報じられ、寂しい思いを禁じえない昨今です。そこに待望のNHKの大河ドラマが登場します。大河ドラマのゆかりの地や舞台となる地域や市町村にとって、大河ドラマはまさに、救世主のような存在ではないでしょうか。関連する自治体や地方経済団体などが、「大河ドラマの里」などと称し、NHKやJRとタイアップして、展示会、博覧会、歴史フェア、など地域活性化のためのイヴェントを企画し、集客のPRに務めることになります。防府の街も「花燃ゆ」にあやかり、街全体が、若き血潮で赤く明るく燃え滾って欲しいものです。
9976 3/7 燃える闘魂 世田谷区砧 ○長ねこ♪さま
ご家族の皆様の悲しみはいかばかりかと拝察いたします。今はただお父上のご冥福をお祈りするばかりでございます。訃報を知り、心よりお悔やみを申しあげます。
私の両親の場合、もう覚悟は決めていたつもりでしたが、葬儀の喪主挨拶中は色々な事を走馬灯の如く思い出し言葉が詰まった思い出があります。
今ではNG、爺河童さんではないですが小学生の私が父の使いで酒や煙草を買いに行った思い出もあります。
今日3月7日は亡き父の誕生日。仏壇に父の好きだった日本酒を注ぎ二人で飲みました…。

○山口県の日本酒
獺祭の飛躍。嬉しいですね。8年前、新橋で、かわぐちさんやまいもさんとこの獺祭を飲んだ当時も有名でしたが、精米方法の改革で今は更に美味しくなっていますよ。
防府市内で扱っているお店は4〜5軒。扱っているお店は旭酒造さんから獺祭のノボリをもらい店頭に掲げてます。ただしおひとり(一世帯)1本までしか販売してもらえません。有ればですけどほとんど売り切れ状態です。
20数年前、私が東京に出た頃、山口県郷土のお酒と言えば「金冠黒松」。山口県からのお客様は大抵このお酒をお土産に持って来られ愛飲させてもらってました。
その後、漫画で「五橋」の大吟醸が取り上げられ酒通の間では有名になりましたよ。白ワインみたいな感じです。
最近、テレビ東京(山口ではキー局がなく福岡のTVQ)の1時間番組で獺祭の秘話が流れた事もあり人気爆発、ネットでも品切れ状態ですね。
私が防府の実家管理で帰った際には、「獺祭」「五橋」「金冠黒松」「関娘」「東洋美人」「貴」「男山」「雁木」と五橋小瓶の贈答用20〜30本を大人買いしてますよ。(これと徳地味噌)
やはり山口の味が自分にはあってます。
○防長深夜バス(東京行)
いつも飛行機の移動で、今回初めてこれを利用してみましたが意外と便利でした。
価格が最低8000円と安く、また私の場合、用賀インターで下車させてもらい、そこから徒歩で朝10時には我が家到着。
あとは前席の方のリクライニングのマナー・モラルだけなんですけどね(苦笑)

5月にまた、除草しに防府に行きますね。
9977 3/11 六甲おろし 静岡県掛川市  ご無沙汰してます。4/1付けで東京へ転勤します。先週末、家探しへ行き千葉県市川市へ住みます。今いるところ(掛川)は、2回目で5年半。その前も入れると8年になります。防府に似た街で
のんびりして自然も多く、とても住みやすくなじんでいたので寂しさと、環境の違う東京への不安が入り混じりとても複雑な心境です。1人だったら(単身)気楽に、「東京を楽しもうか?」ともなりますが、家族のことが心配です。特に小学2年生の長男には、友達との別れをさすのが辛いですね。あと、「都会の学校へ行ってだいじょうぶかなあ?」という心配が尽きません。幸い、住む地域は、新しくきれいな街で、小学校も転校生が多いとのこと。感じのいい学校でした。

 今度は帰省が大変になります。約20年ぶりの首都圏での生活になります。この年でまた東京とはとても意外でした。田舎暮らしが長かったので、慣れるまでが少し大変です。このサイトで投稿される方は多いですね。東京は山口出身の方は多いと思います。お会い出来たらいいですね。
9978 4/1 むれこ 東京都 こんにちは。久しぶりにこちらの掲示板に投稿させて頂きます。
前回投稿させて頂いたのは確か7〜8年前…こちらの掲示板で、ある質問をさせて頂き、親切な市内在住の方、そしてtaka様から貴重な情報を提供頂きました。その節は大変お世話になりました。
今でもこちらの掲示板を拝見する度に、皆様の投稿や写真、記憶、防府の情報を通して繋がる温かさというものを感じております。
先日、久しぶりに帰省をして、昔と変わらない・変わってゆく景色、お店に懐かしいような寂しいような不思議な気持ちになりました。そして、やっぱり生まれ育った防府が好きなんだなぁ、と。
(学生時代に利用していたお店やショッピングモールの名称が変わっていたのには少しビックリ)

地元に帰りたいけれど時間の都合がつかない時、こちらの掲示板で、皆様が投稿される写真や情報でプチ帰省をさせて頂いています。
それでは失礼致します。
9979 4/2 taka21 防府市植松 ようやく、年度末の忙しさを乗り越えようとしています。
今年は、消費税の8%への切り替えもあり、例年の何倍もの作業量になりました。

○hanaさんへ
素敵な写真いつもありがとうございます。

○爺河童さんへ
「花燃ゆ」の件、ありがとうございます。
私は、sensorさんが講師の講座を先日お聞きしましたが、素晴らしかったです。地元として、どのように盛り上げるかがポイントだと言われていました。爺河童さんも書かれたとおりです。

○燃える闘魂さんへ
ありがとうございます。そうでした。以前は、「金冠黒松」が有名でした。当時のテレビCMも印象的で、私は山口県の酒ではなく、全国版の酒と勘違いしていました。
防長深夜バス(東京行)という手段もあるのですね。私は利用したことがありませんので、いつか利用してみたいです。
2月15日16日と急遽1泊2日で東京へ参りましたが、新幹線にしました。でも、記録的な大雪で、中央線は止まったり、大変な状態でした。東京は懐かしい町です。
5月、お気をつけて。

○六甲おろしさんへ
転勤お疲れ様です。千葉県はいかがですか?
きっと、お子さんも新しいお友達ができると思います。
地元の小学校に3年前の東日本大震災で被災したお子さんが、一時的にご親戚のある防府市へ避難されました。しばらく、通われました。PTAのお母さんのみなさんのネットワークで、制服やピアニカなどをかき集めてプレゼントしました。私はPTA会長として、その日々の様子だけをお聞きしましたが、仲良く生活していたと聞いてうれしかったですね。数ヶ月で、ご両親の待つ福島県に帰られました。今もお元気かなと思います。
きっと、大丈夫ですよ。

○むれこさんへ
ごぶさたしています。お元気そうで、うれしいです。
牟礼音頭、覚えていますよ。
そうですね。どうしても、街は変わります。この春には、消費増税の影響でしょうか、今まで残っていた空きビルも空き家も壊されたり、立て直されたり、大きく変わりつつあります。
さまざまな思いもありますが、現実にこの街に住む者として、現実を受け入れて、前へ進むしかないなと思います。
今は、防府市内の桜も満開で、非常にきれいですよ。
また、写真を掲載しますね。今後ともよろしくお願いします。

掲示板メニュー 前の掲示板 次の掲示板 投稿はこちら このサイトを推薦します

私の好きな防府の場所は? アンケートにご協力を!